大内宿雪室珈琲「茶房やまだ屋」
結婚・育児・介護…女性の様々なライフイベントを自然体で受け入れてきた彼女が、新しい選択肢として選んだ道は起業でした。
彼女は福島県会津地方の観光名所である大内宿で生まれ育ち24歳で結婚し、埼玉県で医療事務のパートと専業主婦をしながら3人の子供を育て上げました。
14年前に民宿と土産物店を営んでいる両親から「民宿を継いで欲しい」との話があり、色々と検討した結果、段階を踏みながら大内宿に移住する事になりました。そうして埼玉と福島の大内宿を行き来する生活が始まったのですが、この店舗を現状維持するだけではやっていけないだろうという危機感を覚えるようになりました。この土地で生きていくためには何が必要で、この場所には何が足りないのか…思いついたのが喫茶店でした。
新しい事をするなら60歳前。そんな漠然としたイメージを持っていた頃、地元商工会へ行っ結婚・育児・介護…女性の様々なライフイベントを自然体で受け入れてきた彼女が、新しい選択肢として選んだ道は起業でした。大内宿雪室珈琲「茶房やまだ屋」諸岡久美子さんたついでに喫茶店の事を何気なく言葉にしたのです。そこから漠然と描いていた夢が一気に実現へと形を変えてゆくことになりました。
先ず紹介されたのは起業塾。試しに受講したところ、回を重ねるごとにどんどん楽しくなっていきました。
その頃は飲食業の経験も知識もゼロでしたが、地元商工会が様々な分野のプロを起業支援施策などを駆使し、みな無料で用意してくれたのです。コンサルタントにフードコーディネーター、ロゴデザイナーなど、チームが出来ました。
創業補助金で厨房機材を揃え、足りない資金面は日本政策金融公庫の女性担当者が丁寧に相談にってくれました。彼女の周りをプロ集団が支え、着々と準備が進みます。埼玉で同居していた次男にも店を手伝ってもらった方が良いとなれば、その説得にまで協力してくれたのです。
メニューの開発、足りない知識を補完するためにあちこちに出向く毎日。とても忙しく決断を求められる日々に疲れた彼女は、夫に少しだけ弱音を吐きました。夫から返ってきた言葉は「それが上に立つ者の宿命」でした。
今までの主婦という立場では、多額の金銭や対外的な人との交渉事で決断する場面は少なく、誰か(夫)に最終決断してもらうことが当たり前だったのです。彼女は「これからは自分の意志で決断し進むのだ」と身を引き締めました。
彼女は今でも決断する際に不安を覚えますが、決断が間違っていたのら直せばよいだけのことだと柔軟な姿勢を取っています。決しておざなりに考えているのではなく、考えて考え抜いた決断がもし間違っていたのなら、素直に直せばよいだけの事だと明るく話してくれました。
その姿勢は、次男の嫁でありながら舅、姑、舅の母を看取り、夫を支え、子供を育て上げ、これから実父母の面倒を見るため34年ぶりにUターンしてきた生き方そのものでした。
最後に、彼女から女性起業者へのメッセージです。
もしも貴女が疾風怒濤の最中にいるのならどうか前を向いて欲しい。
先が見えない苦しみは「辛い。辛い。」とうつむきがちです。でもそんな時期もいつかは終わりがあるのです。
私はそんな時、他の視点に立って上を向くように心がけました。上を向いていたら、高みの人と出逢えました。その人たちとの繋がり、人脈が私をここに導いてくれました。人との出逢いは宝物です。
前を向いて、上を向いて、人とのご縁を大切に、ご自身の道を歩んでください。
東京で飲食業に就いていた息子さんと。観光客に求められる店づくりやメニューを考える際の心強いパートナー。