株式会社クリフ
- 起業を決意したのはいつですか?その時の状況は?
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十数年前まで私は海外と行き来する生活をしながら夫婦でビジネスをしていて順調、2人の息子にも恵まれて一生幸せだろうと思っていました。
しかし、離婚を機に仕事を失い生活は一転しました。仕事を探すも私を雇ってくれる会社はひとつもありませんでした。徐々に私は価値のない必要とされない人材なのかと腐っていきました。ある日、どこにも雇ってもらえないなら自分で仕事を作ろうと起業を決意、コミュニケーションを軸に何かをしたいとC、復活を意味するルネッサンスのR、福島のFでCRF。クリフを英語で読むと崖という意味もあります。まさしく崖っぷち、いや崖の下の状況にいた私は「よし!這い上がろう」という強い信念も込めてクリフと名付けたのです。
- 崖の下からのスタートだったのですね。これまでで一番辛かった事は?
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辛かったことは沢山ありました。これからもあると思いますが…振り返ると、一番は子育てとの両立でしょうか。
常に仕事のこと、息子たちのこと、家事のことを同時に考えなくてはいけなかった。学校行事や野球応援のための時間調整もそうですが、予測できない息子たちの怪我や発病時の対処とか。外面では仕事スケジュール調整、内面では息子の側にいてあげたい、居たいけれど、それが出来ないことも多々あって、その時は本当に辛かったですね。
はじめは、会社は設立したけれど取引先もなければお客様ゼロ、売上もゼロ状態でした。売上を上げる、自分の給料を稼ぐためにどうすれば良いか真剣に考えたけれど、考えても悩んでも答えはどこにも無かったことですかね。
- 数々の苦難を乗り越えて来られたポイントは何だと思われますか?
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息子たちが居てくれたから、そして私を応援してくれる方々からの叱咤激励が私の乗り越える力になったと思っています。本当に感謝しています。また、たとえ小さな仕事でも、お金にならないことも、しっかりやってきたことでしょうか。次の3つを大事にしてきたことだとも思います。
・スピードと行動
起業直後は、勉強会や講演会に出かけては多くの方と名刺交換。24時間以内にEメールを送り、その返信にまた連絡して会社訪問する営業活動を展開。100通の送信に1~2通の返信でしたが、その繰り返しを根気よく行ってきました。
・見える体制つりと細かく丁寧な仕事
お客様とも社員さんとも抽象的な言い方、聞き方をしない。5W1Hを入れた話し方、聞き方をして明確な意思疎通を心がけています。また、過去の実績やこちらの優位性、独自性をアピールすることと納品や業務完了までのフローを見えるように工夫しています。
・時間厳守
絶対に守ることはもちろん余念なく十分な準備を心掛けています。
- これから事業を発展展開させたい女性起業者に一言!
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女性には特有の視点があり、能力も高く現実的にコツコツと努力できます。それなのに、なぜ起業家の女性比率は低いのでしょうか?起業したとしても持続することが厳しくて断念せざる得ない人も少なくないのでしょうか?
「○○をやりたい」という思いは無いといけません。それが強ければ強いほど機動力につながるので非常に重要です。しかし、思いだけでは続かないことは言うまでもないでしょう。そう、お金が伴わなければ継続は出来ないのです。それをどこから捻出するのか、どんな人が幾らで買ってくれるかまで調査したり、常に収支を考えながら行動することが大事なのだと思います。
「すごいね。頑張って!」と人は簡単に言うけれど、初めの一歩は自分で踏み出すしかない。そして一歩二歩と前に進み続けるのも自分。たまに後ろや横を眺めながら、行ったり来たりしながら振り返ったときに前に進んでいたらヨシ!なんです。
女性の起業、追い風です。やるなら今しかないでしょう!そう、やるのはあなたです。
- お母さんが起業したころの状況や当時の心境は?
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母が起業したのは、僕が小6、弟は小4の冬でした。正直 いうと、どこかで仕事を始めたのだなと思っていたくらいで、たぶん弟も同じ気持ちかあまり覚えてない気がします。それより僕らも両親の離婚で生活環境が変わって、自分のことでいっぱいでした。
その頃は僕の反抗期の時期で、母と僕は激しい口論になったり、冷戦状態になったりもしました。でも、最後は僕らの話をきちんと聞いてくれて、母から意見されたり諭されたり。当時は「また説教かぁ」と思っていたのですが…
母からは、こんな仕事があるから朝早く出るとか夜遅くなるとか、仕事の話も具体的にしてくれていました。僕らは分からないながらも協力しようと洗濯や自分のことは自分でしようと頑張っていました。
- 八年経った今、お母さんに対して思うことはありますか?
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僕らはずっと野球をしてきました。母は弁当や送迎、試合だと朝4時集合とかも普通にあって、それも弟とは別々の時間なのにやってくれていました。母の時間なんて無かったし、寝る時間でさえ少なかった。絶対辛かったはずなのに、あまり表情や態度に出してなかった。授業参観や試合、甲子園までも来てくれました。また弟の芸能活動やオーディションにも一緒に行っていて常に僕らを第一に考えてくれています。でも、そこまで僕らは母のことを考えていなかった気がします。あの頃に戻れるなら助けてあげたいと思うほど、母には感謝しています。
成人した僕が改めて思うこと。母には強い信念があり、精力的に仕事をしてきました。そして失敗しても立ち上がる勇気と行動力はスゴイです。そうして母は信用を得ながら人脈を拡げながら、ここまで来た、今があると思います。でも休むことも大切です。身体を労わりながら頑張って欲しいと思います。